1985年1月に入った、合宿中(10日間)池田は晴久が肩を壊すリスクを冒してまでも全国大会優勝にこだわる理由が気になっていた、池田は晴久に理由を聞いてみた、いつのまにかチームメイトも集まっていた。晴久「僕に野球を教えてくれた人、僕より3つ年上なんだけど、牧村君、去年12月に頭の病気で亡くなったんだ」池田「な!!」晴久「牧村君、サードで4番だったんだよ、町田リトルに入ってた」中谷「そんな」晴久「全国大会に出て優勝するのが目標だったけど、病気がひどくなって、チームは全国大会に出たんだけど牧村君は試合に出れなかった、チームは初戦で負けた、その時の相手は群馬リトルだった」池田「‥‥‥」宇佐美「佐藤」泉「何か?勝ちたい」高坂「力になりたい」晴久の記憶、牧村「晴久、僕、死ぬかもしれない」晴久「牧村さん、絶対治るよ」、晴久が入院していた時、晴久が痛みで泣いていた時、牧村は晴久を抱きしめ互いに泣いていた時、また晴久が傷口を見てショックを受けているときは、晴久「嫌だ、何だよコレ、消してよ」牧村「晴久」晴久「慎二、僕の胸、変だよね」牧村「変じゃないよ、かっこいいよ」晴久「ウソだ」牧村「男らしいよ」晴久「慎二‥‥‥ありがとー」、そして12月5日、牧村の容態は急変した。晴久や仲間らが急遽駆けつけた、翌日、一時的に持ち直した、牧村「僕、先に天国に行くから、全国大会、優勝してね」晴久「死なないでよ、嫌だ」、翌日、再び容態が急変した。牧村「頑張って、僕の分まで、晴久、サードよりピッチャーのほうが出来るよ」晴久「慎二、お願い、生きて」牧村「ありがとう、君と出会えて良かった、さようなら」牧村は意識不明に陥った、晴久「嫌だー」、同日、牧村は脳死状態になり、翌日夕方、亡くなった。 11日、告別式、晴久は牧村と最期のお別れをした。晴久「一生忘れないよ」、棺が火葬炉の中へ、晴久「さようなら、慎二」扉が閉められた、晴久は泣き崩れた、火葬後、牧村の家族と晴久は遺骨拾いを行った、牧村の母親「こんだけしか残らないね」晴久「慎二」、晴久の話を聞き終えると池田やチームメイトは泣いていた、池田「おい、来年は優勝するぞ」中谷、茂島、高坂、泉、小谷、伊藤、田所「おぅ」山下監督「池田君」池田「はい」山下監督「さっきの佐藤の友達牧村君の件だが、牧村君は3年前に脳幹グリオーマと呼ばれる、脳のガンを発病したんだ、発見した時には手遅れだったが、2年以上生きることが出来た。手遅れだと1年もたずに亡くなるらしいからな」池田「怖い病気だな」山下監督「原因は不明らしい」池田「原因って」山下監督「どうして、牧村君がその病気になったか、分からないということ」池田「それって、防ぎようなくない、いつ誰がなってもおかしくないということ?」山下監督「そういうことになるな」池田「マジかよ」、池田「佐藤、大丈夫か?」晴久「うん」池田「来年こそは優勝しような」晴久「僕も勝ちたい」晴久「僕は絶対諦めない、慎二との約束を果たすよ」池田「あぁ」