1996年、4月中旬、美帆「私、兄さんと、群馬の赤城道路で走ってみたいな」晴久「そうか成長ぶりを見せてもらおうか」、土曜日、夜、8時頃、赤城道路、すでに多くのギャラリーが集まっていた。藤原「いよいよだな」谷口「兄妹対決か見ものだな」9時半、晴久がスイフトターボで、美帆がシルエィティで現れた。ギャラリー「来たぜ、佐藤兄妹」、服部塾長がカウントを取り、スイフトターボ先行でスタートした。ギャラリー「FFであの速さ、うまぃ」石井「あれは、ツインドリフト」谷口「しかも、ピタリとくっついてるな、上手いもんだ」健次「速いな」渉「クレイジー過ぎるぜ、2人とも」横田「クレイジーだな、佐藤兄妹は」服部「当然だろ日本一のアスリートの兄、晴久に関東一のレディース総長、妹、美帆、あの2人にとっては、アサメシマエさ」桐山「どっちが、勝つんですかね?」鮫島「どっちだって、いいんだよ、2人が本気で走れれば、それでいい」、晴久「うまくなったな、美帆、見事だ」美帆「ヤッパリ兄はすごい私は兄についていけばいいんだ」、オフィシャル「たった今、2台が第4セクションに入りました、タイム‥うそだろぉ」服部「何」オフィシャル「タイムがこのまま行くと、赤城道路のコースレコードを10秒更新しちゃいますよ」服部「10秒‥‥ふん」鮫島「なるほど、ナチュラル兄妹だなやってくれるぜ」渉「聞いたかよ兄貴、10秒更新だってよ」健次「そうか」ギャラリー「10秒だってよやばくねーかすげぇよ地元じゃない走り屋がこんな芸当出来るのかよ」、ゴールした、コースレコードを11秒更新していた、晴久「速くなったな、美帆」美帆「兄さん、ありがと」バトルは2本目は入った。