「私は貴女のお父さんを愛していて結婚したんじゃないの」
「……え?」
彼女の言葉の意味が理解出来ず、思わず小さく声を漏らす。
「貴女のお父さんが愛しているのは、今も、昔も……貴女のお母さんだけよ」
「……じゃ、じゃあ……どうして?」
「理解されるのは無理かもしれないけど、互いの利益婚だったの。貴女のお父さんは周りに早く再婚しろと煩く言われていて、幾つも縁談を持ち掛けられていた。それを止めされる為に、表面上の《妻》を置いておいたのよ。ただそれだけ。今でも貴女のお母さんの事を愛している」
「……そんな」
「私は私で、一生結婚しないと決めていた。音楽だけを愛して生きて行く。それが私が捨てたモノへの、せめてもの誓いだった。そんな時、お父さんにこの話を持ち掛けられたの。私は音楽への支援を、彼は愛しい人への想いを……それだけの結婚よ。そこに愛は無いし、体の関係は一度もない。キスをした事もなければ、手を繋いだ事も無いわ」
奈緒先生はそう言って笑うと、そっと私の左手を握り締める。



