裏口の申し訳程度の屋根からポタリと雫が落ち、マリアの頬を濡らした。空を見上げると、暗闇の中から細かい雨が降ってくる。置き傘が控え室にあるが、取りに行くのはやめた。マリアが住んでいるボロアパートまで歩いて10分、駆け足なら7、8分で着くだろう。このくらいの雨なら少し濡れるくらいでアパートまで行けそうだ。それに今夜はなんとなく濡れて帰りたい気分だった。
 マリアは肩に掛けていた小さなショルダーバッグを傘代わりに、頭に掲げた。駆け足と共にわずかな水しぶきを上げ、表通りへと向かう。チカチカと相変わらず街灯が点滅している。近づくにつれ、その街灯の下に傘をさした人影があるのに気がついた。
 まさか。マリアの心に想いがよぎる。影はマリアの足音に反応して、小さく傘を動かした。マリアは足取りを緩め、そっと近づく。もうすぐ夜の十一時を過ぎようとしている。こんな時間に寂れた街角に人が立っているのも珍しい。マリアは角の手前で足を止めた。
 傘を持った人影の正体がゆっくりと露わになっていく。あの男だった。点滅する明かりで、動きがストップモーションのように見える。男が傘の中から伸ばす手、空から降ちる雨の雫、男が開く唇……。その全てが美しく、魅惑的で、永遠に続けばいいとさえ思った。
 男の手がそっとマリアの腕を取り、引き寄せる。傘に当たる雨の音だけが聞こえる。二人は見つめ合い、唇をかさねた―――。