それから、入退院を繰り返し学校にすら行けず、施設と病院しか知らなかった。 院内学級で勉強は、していたけれど、私はどうしても学校に行きたかった。 そして、私は、『最後の思い出づくり』に、高校に行くことがゆるされた。