丹朱の橋、葉桜のころ

初めに断っておくと、ボクにはミヤビという立派な名前がある。漢字一文字で、雅だ。


階段を駆け下りる騒々しい音で、ボクは眠りから引きはがされた。

転がるように飛び出てきたのはサツキだった。
ボクのイスの横にあるドアは、二階に上る階段へと続く。そこはいつも少しだけ、ボクのために開けられている。


「ミーちゃん、おはよう」


サツキは、鼻にキスをする挨拶をした。ミヤビという立派な名前を「ミーちゃん」と縮めて呼びながら。

それはボクの記憶を刺激した。

鼻先にキス……、あれは誰だっただろう。
相手は、サツキじゃない。なにか、もっと重大な……


「じゃあね、ミーちゃん、いってきます」


高校生とやらになった紺のブレザー姿のサツキは、ガラガラと引き戸から出かけて行った。イスの上で頭だけもたげたボクと、レジ台の真下にある狸の焼き物がそれを見送った。

ボクは体の異変に気づかれまいと、何気ない風を装って、サツキをやりすごした。