天神学生寮の部屋を出て、彼女は走る。

夜の暗がり。

灯り一つない闇の中、響くのはアリスカのブーツの音のみ。

一跳びで住宅のコンクリート塀に飛び上がり、そこから更に跳躍して建物の屋根に飛び上がる。

屋根から屋根へ、しなやかに飛び移る猫の如く。

ロシア大統領直属エージェントとして鍛えられた身体能力を駆使し、住宅街をショートカットして移動するアリスカ。

彼女が向かうのは、天神地区の主要幹線道路だった。

深夜でも交通量の減らない、天神地区の大動脈。

建物の屋根から飛び降り、公園の階段の手摺りを滑り降り、排水溝を飛び越え。

車道に飛び出した所で。

「うわっ!」

アリスカに驚いたバイク乗りの若い男性が、急ブレーキをかける。

「バカヤロウ!何飛び出してきてやがる!」

当然の如く怒鳴り散らすその若者のフルフェイスヘルメットを取り。

「!?」

頬にキスするアリスカ。

彼女は呆けた若者をバイクから素早く引き摺り下ろした後。

「緊急事態なの、ちょっと貸してね」

エージェント身分証明書を見せ、そのままバイクに跨って走り去った。