「着いたよ」
「ここですか」
「うん、ここ。一応校舎内はコートとマフラー着用禁止、というかコートは申請しなきゃ着用できないから脱いで入りなさいね」
「すみません」

 意識を飛ばしているうちにどうやら教室に着いたらしい。ドアの付近に学年とクラスが書かれたプレートは、私の在学時と変わらず、手書きだった。

 中原先生に注意されたとおりにマフラーを外し、コートのボタンを外そうとしたとき、肩からずれ落ちてきた鞄に驚いた。その鞄は、家に出たときには持っていなかった私の、鹿のマスコットがぶら下がっているスクールバックだった。ボタンを外す手が止まった私を不思議そうに見てくる中原先生を待たせないよう素早くコートを脱ぐと、安物のパーカーとジーンズではなく、青翔の制服を纏っていた。

「い、イリュージョン……」
「マジックが得意なら自己紹介のときにでも披露してみる?」
「ふふふ。先生ったら」

 事の重大さが分からないなら黙っていろ、と念じながら笑ってみせると、先生は心持ち顔を青くして私から目を逸らした。

 ひどい人だと思いながらも先生の後に続いて教室に入ると、30人ほどの目が私に向いた。いっせいにひそひそ話が始まり、私は好奇な目に晒される。きっと動物園の動物はこんな気分なのだろう。見られる側になって初めて分かるこの居心地の悪さに、私は教室を飛び出して掃除用具入れあたりにでも隠れたい気持ちになった。そんなことしたら明日からどころか今日中にイジメの対象になってしまうけど。

 なるべく誰とも目を合わさないように努めながら、中原先生の話を流すように聞く。先生は連絡事項の前に私を紹介し、「じゃあ河野さん、何か一言」と私に促した。

「河野美晴です。よろしく……」

 自分でも分かるほど、よろしくしたくなさそうな言い方だった。後悔したけれどもう言ってしまって、修正できるものではないので知らないふりをした。どうせいつかはこの時代からいなくなるんだし。わざわざこの時代の人と仲良くしなくたって構わない。

 お辞儀をすると同時に鳴った拍手は、私のよろしくしたくない「よろしく」を感じ取ることなく、教室が割れんばかりの大きな音だった。その中、拍手をしない男の子が2人いた。1人は眼鏡を掛けている陰気臭い男の子で、もう1人は写真の中で卒業証書を手に笑っていた人だった。