神の森


「桑津くん……

 わたしは、君の上司で、妻も子もあるのだよ。

 何か困ったことがあるのならば相談にはのるけれど、

桑津くんのことは社員以上には考えていないよ」

 光祐の心臓は高鳴り、平静さを装いながらも、真夏の夜の誘惑に

引き擦り込まれそうになる。


「だって、副社長の奥さまは、実家に帰られて別居中なのでしょう。

 淋しくはないのですか。

 それにもうすぐ、離婚されるのでしょう。

 美和子は副社長が大好きです。

 美和子が副社長の淋しさを埋めて差し上げたいのです」

 美和子は、恋するまなざしを光祐に向けた。

 潤んだ大きな瞳は、きらきらと輝いて、美和子の愛くるしさを

際立たせていた。


(ほんとうに率直な可愛い娘だな)


 光祐は、思ったことをそのまま口にする美和子に心惹かれて、

魅惑の糸に手繰り寄せられそうになりながらも、毅然とした顔で諭した。


「桑津くんは、誤解をしているようだね。

 確かに妻は、所用で実家に戻ってはいるが、わたしたち夫婦は

離婚などしないよ。

 わたしは、妻を深く愛している。

 このまま、送っていくとわたしが君に何かおかしなことをしたように

思われそうだね。  

 とにかく、その洋服だけでもどうにかしなければ……

 桑津くんには、これから多くの出会いがあるのだから、もっと自分を

大切にしたほうがいいね」


 光祐は、美和子の誘惑を断ち切るように車を発進させ、

波立つこころを抑えて、深まる闇の中に車を加速した。