「───なぁ」

授業中、後ろの席の秀平が私をシャーペンの背中でつついた。

振り返ると、秀平は私の斜め前に座った背の高い短髪の男の子を指差しながら、あいつ誰だっけ?と小さな声で聞く。

野球部の本田くんだよ、とこっそり教えてあげると、

「じゃあ、あいつは?」

秀平は次々にクラスメイトの名前を聞いてくる。

そっか。
すっかり記憶を失った秀平が学校生活を送るためには、色んなことをまた一から覚え直さなきゃいけないんだ。

それに気付いた私は、急に思い立って、授業そっちのけで座席表作りを始める。
授業が終わる頃には、簡単な人物紹介まで付いた自信作が完成していた。

休み時間。
喜ぶだろうと思ってそれを渡したのに、秀平は意外にも怪訝な顔をする。

「ありがたいけど。
何でこんなことしてくれるわけ?」

そんなの、秀平が好きだからだよ。
早く思い出してもらいたいからに決まってるじゃん。

そう言いたいのをグッと堪えて、私は無理矢理笑顔を作って答える。

「困ってる人の役に立ちたいし。
何より、授業中に何度もクラスメイトの名前聞かれると困るもん」

「…なるほど。
そりゃそーだ」

秀平はようやく納得したのか、苦笑しながら座席表を受け取ってくれる。
そのときの笑顔に胸が掴まれる気がした。

「おーい秀平、お客さん」

クラスメイトに呼ばれて、秀平は廊下側を振り返る。
教室の扉の外に立ってこっちを見ていたのは、隣のA組の希美ちゃんだった。

秀平は、私の気も知らず無遠慮に、誰?と聞いてくる。

秀平は悪くないし、仕方ない。
だけど私は内心で秀平を恨みながら、秀平の元彼女だよ、と答えた。