桜ものがたり

「ねえ、君、僕と結婚しようよ」

 庭園の竹林に差し掛かったところで、文彌は、祐里と二人きりになったのを確認すると、突然に求婚の言葉を口にする。

 文彌は、半歩前を歩いて庭園を案内する祐里の両肩を掴み、正面に向かせる。
 祐里の振り袖に描かれた桜文が花びらが舞い散るように大きく揺れた。

「あの……おっしゃっている意味がよくわからないのでございますが」

祐里は、とっさに身構えた。

『見合い』という言葉が頭の中に渦巻いて、同時に奥さまと光祐さまの

不機嫌な態度を理解する。

 竹林の新緑の葉が風に大きくさやさやと揺らいで見えた。

「桜河の旦那さんから、今日の見合いの話は聞いてないの。

 初めて会って、結婚の申し込みだなんて冗談だと思われるかもしれないが、

僕は、ずっと以前から君の事を見知っていた。

 初めて見たのは、光祐坊ちゃんの中学入学祝いの宴で、君は、まだ幼さを

残しながらも美しく輝いていた。

 それから、年々女らしく綺麗になっていく君を見る度に僕の心は、

君に釘付けになったのだよ。

 僕の瞳(め)に映った今日の君は、最高に美しい」

 文彌は、ぎらぎらとした獲物を捕らえる大蛇のような眼で、振り袖を剥ぎ

取って祐里の裸体を見ていた。

 祐里は、文彌の鋭い視線に振り袖を切り裂かれた気分に陥りながら、

頭の中で『見合い』という言葉が波紋となって広がっていく。

「私は、今日はじめて榛様とお目にかかりました。

 榛様の事は、何も存じておりませんし、春からは女学校に進学致します。

 結婚など考えられません」

 祐里は、後退りしたい気持ちでいっぱいになり、

大蛇に睨まれた獲物のように身体の力が抜けていくのを感じた。

 見慣れた美しい庭園が一瞬にして藪と化した気分に陥る。