祐里は、お屋敷に世話になった日の事を思い出していた。


 ………黒い喪服を着た人たちが行き来し、

祐里は、ひとり、部屋の隅に座っていた。

 いつの間にか隣に光祐さまが座って「ゆうり」と優しく微笑んで

手を握ってくださった。

 福祉施設に行く予定だったのに、光祐さまは、その手をお離しにならなかった。

 その姿をご覧になられた桜河の旦那さまと奥さまが光祐さまの遊び相手にと、

祐里を引き取ってくださった。

 奥さまは、光祐さまの出産後に体調を崩され、

子どもの産めないお体になられたらしく、お二人は、

祐里を実の子と同じように育ててくださった………。


 祐里は、ご厚意に感謝しながらも遠慮して甘えられないでいたが、

誰もが「桜河のお嬢さま」と信じるほどの気品と優雅な雰囲気を持ち合わせて

育っていた。

「御婆さまは、ご病気になられてからは、お側に寄せてはくださらなかったので

ございますが、お亡くなりになられる直前に私を呼ばれて

『この桜の樹は、桜河のお守りの樹だから、

祐里がわたくしの代わりに大切にしておくれ』

とおっしゃいました。

それから毎日、桜の樹にお話に行くことにいたしましたの」

 祐里の胸の中には、優しい御婆さまの笑顔が蘇っていた。

 御婆さまは、遠退く意識の中で、祐里の手をしっかりと握り締めて、

桜の樹を継承したのだった。

「御婆さまは、とても桜の樹を大切にされていたし、桜と同じくらい

祐里のことを可愛がっておられた。

 御婆さまは、ぼくと祐里の味方だったものね。

 御婆さまがご存命でいらっしゃったら、ぼくたちの結婚をお慶びになられる

はずだよ」

 光祐さまは、いつも背筋を伸ばしてお屋敷の采配をしていた祖母が、

光祐さまと祐里には相好を崩し、厳しい顔を見せたことがなかったのを

思い出していた。

 御婆さまが愛しんだ祐里をきっと旦那さまも認める日が来ることを信じたかった。