「錨を上げろー!!」

 誰かのそんな叫び声で、船員達が一気にロープを引き上げ始める。フィスはその様子をデッキに立ち、眺めていた。住み慣れたオルドアの地は時間が経つごとに遠くなり、自分が取ってしまった行動にほんの少しの後悔を覚える。

「もう、帰りたくなったのか?」

 ヘヴンリーブルーの瞳の男がそう問い掛けた。

「どこへ行っていたの?」

「おかげさまで船長は忙しいんだ」

「…そう」

 男から視線を逸らしたフィスの瞳は、遠くに見える生まれ育った地を見つめている。

「生まれ育った地を離れるのはそんなに哀しいか? 別に一生の別れでもあるまいし」

 タバコを取り出し、片手で風を避けながらその先端に火をつけるのは、名前すら知らない男だ。

 どうして、差し出された手を拒まなかったのだろう…。信用できる人間かどうかも解らないのに。

「名は?」

「…フィス」

「フィスか。覚えておく」

「あなたは?」

「栄えあるこのディックバード号の船長だ。港にはいくつもの船が停泊していたが、ディックバードが一番いい船だっただろう?」

 男は嬉しそうに目を細めた。

「あなたの名は?」

「レイズ。そう呼んでもらっても、船長と呼んでもらってもどちらでもいい」

「レイズ…。覚えておくわ」

「ああ」

「あなたは、どうして私をこの船に?」

 その時遠くから彼を呼ぶ声が聞こえた。レイズはその声に反応すると、持っていたタバコの火を消す。

「フィス、そういう面倒な話は後にしてくれ。仲間が呼んでいる」

 もう一度催促の声が聞こえる。

「今行く!」

 振り向いてそう答えると、レイズはもう一度フィスに向き直った。風に踊るフィスの長い髪を指に絡ませて言う。その瞳にフィスは囚われていた。

「何もかもが絶望に満ちたような顔をするな。『未来は自分で切り開け』」

「それは…?」

「俺の好きな言葉だ」

 レイズは仲間の元へ走り出した。その後姿をフィスはじっと見つめていた。