翔さんは定期的にメールや電話をくれたけれど、翌週の私は、そのメールを開くことも、電話に出ることもしなかった。

「一週間くらい放置しとけば? たまには心配させてやった方がいいよ」

サトシからそんなアドバイスを受けたことだけが理由ではなく、私自身も、しばらくこの問題から離れていたかったからだ。

心労は、心の許容量をはるかに超えていた。


日々の仕事をこなすことすらいっぱいいっぱいで、それでも何とか一週間を乗り越えた金曜日の夜のこと。

私は久しぶりに翔さんの書斎に入ってみた。

私が片づけた書斎はすっかり殺風景になっていたけれど、主がいたころの姿を容易に思いだすことができる。


部屋の正面に配置されている机の中央にはパソコンがあり、左上にプリンター。

右上には、翔さんが大学の卒業記念に購入したという、母校のマーク入り時計と筆立て。

机の横には、何度言っても片づけない書類やダイレクトメールが山積みになっていて。

専門書が並ぶ本棚のあちこちにも、雑誌や書類が適当に突っ込まれていた。

出窓には、私が飾った結婚式の写真と、二人で行った旅先で見つけた犬の置物。

それは、「シェリーに似ているから」という理由で彼が欲しがったものだった。