チョコレート

「ただいま」
鍵をあけてドアをあけて、私はいつもの言葉を部屋の中にかけた。
返事は無い。私の声ががらんとした部屋に虚しくこだましていた。
部屋の中はとてもとても寒かった。
「よかった。今日も寒くて」
私はそうつぶやくと靴をぬいで部屋に入ろうとした。
その時だった。
誰かが私の肩をつかんだ。
コートごしに感じた手のひらの感触はとてもひんやりしていた。
私はゆっくりと振り帰る。
そこには暖かそうな毛皮のコートを着た美樹が立っていた。
「ねえ、みちる、翔平どこに行ったの?」
美樹は私をにらんだ。
「翔平、電話しても出ないし、メールの返事もくれないし、おかしいわ。
ねえみちる、翔平どこに行ったの?」
美樹の声はだんだん大きくなる。
私は何も答えなかった。美樹の長い髪、綺麗な顔、暖かそうな毛皮のコート。
「ちょっと、どいて」
美樹は私を突き飛ばして私の家に入った。
ゴールドに輝くハイヒールを履いたまま部屋の中に入っていった。

みちる、ごめん……俺……俺……
みちる、俺、美樹ちゃんが……
みちるの事好きだったのは嘘じゃない、嘘じゃないんだ。
でも、どうしようもないんだ。

リビングから美樹の悲鳴が聞こえた。

翔平が悪いのよ。全て翔平が……
私の事愛してるって言ったくせに。私が一番でずっとずっと一番だって言ったくせに。
翔平が悪いのよ。
私がチョコレートしか食べなくなったのも全て翔平のせい。
甘い甘い夢を見ていたい、見ていたかったから、甘い甘い快感を感じていたかったから。
だって、翔平が私に甘い言葉を何も言ってくれなくなったから。
だから私はチョコレートを食べ続けた。

そして……

私はゆっくりとリビングに向かう。
そこには腰を抜かして座り込んだ美樹がいた。
美樹の瞳からは涙があふれマスカラがにじんでいた。
リビングのソファには私の愛しい人が眠っていた。
「ただいま、翔平」
私はそっと声をかけた。
翔平はもう目を覚まさない。
ずっとずっとこのまま、ずっとずっと私のもの。
私だけのもの。
そう、永遠に……

開けっ放しの窓から冷たい風が入ってきてカーテンが揺れた。
それはまるで美樹の手のひらの様だった。
私はチョコレートをひとかけら口の中にほおりこんだ。甘い快感が口のなかに広がる。
頭の中に翔平の言葉がこだました。
「愛してる、みちる」

幸せだった。

恐いくらいに、何もかもがどうでもよくなるぐらい、私は幸せだった。