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舞踏会の翌日。
朝日がまだ上らない早朝。

家の前に、黒い車が停車した。

城に持ち込む物は多くない。
衣服や日用品は全て揃えてあるらしい。
杏の手荷物は、小さなバックが一つきりだった。
幾つか思い出のある品々の中に、あのペンダントも入れている。

杏は十年以上過ごした家を振り返った。
遥は、まだ寝ているだろう。
最後に挨拶の一つもしようかと思ったが、そんなことをすれば余計に離れ難くなってしまう。

「そろそろ、お乗りください」

声を掛けたのは、黒づくめの男。
サングラスのために顔は分からないが、声からして初めての登城のときに迎えに来た者だ。

「……はい……」

今日で、この家とも遥ともお別れだ。
そして、一生を王に捧げこの国に尽くす、忠実な犬となる。

杏は踵を返した。
家に背を向けて、二度と振り返りはしない。

「__バイバイ……」

消えそうに小さな声は風に攫われ、誰の耳にも届かない。

バタン、と車のドアが閉まる。

それは決して逃げられない鎖を繋ぐ音に聞こえた。

エンジンがかけられ車が揺れる。
そして、ゆっくりと動き出した。
次第に家が遠くなっていく。
車は速度を上げ、どんどん家から離れていく。

__朝日が、上る。

澄んだ空気を突き抜ける光が、目に染みた……。