「ハル……」

杏は、彼の背に腕を回す。

いつもより荒々しくなろうとも、この腕はいつだって優しい。
愛おしい、彼。

杏は、遥の胸に擦り寄った。
その額に、遥は口づける。
二度、苦しいまでの愛おしさを吐き出すように。

杏は顔を上げた。
彼女の頬に、遥の指が触れる。

声を出さずに、彼の唇が動く。

ねぇ、呼んだのは誰……?

「ハル……」

吐息が混じるほどの至近距離。
吐息に乗せて、彼を呼ぶ。

覗き込む、瞳。
これまでにはないほどの近さで見つめた赤銅色は、ひどく美しかった。

「ハル……」

杏の声が、無意識に震える。
あまりにも近くて、あまりにも綺麗すぎて、怖い。

血に塗れた私が、あなたを穢してしまうんじゃないか、と。
怖くなる。

「……っ、はる!」

ハッ、と我に返ったように遥が動きを止めた。
それから、慌てて彼女から距離を取る。

「……ぁ、ごめん……」

暗がりで、謝った彼の頬が赤く染まっていたことには、杏は気づかなかった。

「ううん。
手当て、ありがとね。これなら大丈夫そう」

すくっと立ち上がっても、足は痛まなかった。
遥のテーピングがうまく足首を支えてくれている。

……よし、いける。

大丈夫。
舞ってみせる。
最後まで、完璧に。

楽団がどんな曲を演奏するのかは知らない。
学校で習ったことのない秋らしい曲をリクエストした。
即興だ。

「テーマはコスモスよ。
季節は秋、衣装が桜みたいとくれば、秋桜しかないでしょう?」

そう言って、彼女は笑う。
遥の抱擁で、ちょっと充電できた。
考えなくてはいけないことも、決心しなくてはいけないことも、いろいろあるけれど、今すべきことは心からの舞を踊りきること。

那乃に、伝わるような舞を舞うこと。

「見てて、ハル」

あなたが見守ってくれたら何だってできること、知らないでしょう?

部屋から出る直前、遥が彼女の手を掴んだ。

「ちゃんと見てるから、無理はするな。
待ってる」

耳元で囁かれる低い声。
擽ったさに、肩を竦めた。

帰ってくるよ。
いつだって、あなたの傍に。