「いや。あんたは気に入られてるんだよ。私は殿下の乳母だったからよく分かるのよ。
昔からちょっと捻くれてる子でね。まあ、母親が早くに亡くなったのも理由の一つかもしれないけれど」

「お母様、お亡くなりになっているのですか?」

「ああ、知らなかったかい?
十年と少し前だよ。よくは知らないけど突然ね。
殿下は捻くれてるようですごく真っ直ぐなところがあるからね。難しい子だよ」

言いながら、髪を編まれキツく縛られ、地肌が痛い。

「ほら、そんな顔せずに、笑いなさい。笑う門には福来る、よ」

そんなことを言われながら、化粧を直される。

「絶望なんて時間の無駄さ。自分には到底越えられなさそうな壁にぶち当たったら、泣いたり落ち込んだりする前に笑うといいわ。
泣くことは大切だけれど、絶望するのはもったいない。無理やりにでも笑って、そんなに深く考えないのさ。時間が解決してくれることもあるからね」

何も言っていないのにそんな言葉をくれる彼女は、紅を唇に塗って笑って見せた。
それに、杏はぎこちない微笑を返す。

「化粧は女の戦装束さ。あんたはちゃんと戦っている」

化粧は女の戦装束__それは、杏を育て舞を教えてくれた人の口癖だった。
じわりと心を温めるのは、懐かしさだった。