強引な腕に逆らえず、杏は家に連れ帰された。
どんなに叫んでも抵抗しても、遥は彼女の手を離そうとしなかった。

玄関に入った途端、すぐに閉まったドアに押しつけられた。
ダン、と大きな音を立てて、杏の顔の横に腕が突き立てられる。
後ろはドア、前は遥、両横は彼の腕で遮られ、逃げ場はない。

「今が何時か分かってんのかっ!!」

未だドアに押しつけられたときの衝撃を逃がせる余裕もないままにいきなり最大音量で怒鳴られて、杏は肩を震わせた。

釣り上がった眉。
燃える瞳。

「こんな時間までどこで何してたんだよ! なんであんなこと言ったんだよ!」

本気の怒りを見せる彼を、初めて怖いと思った。

「いつまで経ってもお前帰って来ねぇし、幾ら電話しても出ねぇしっ。心配して出てみればあんな奴らについて行こうとしてるしっ。ふざけんなよっ!?」

「ふざけてないよっ!!!」

目にいっぱい涙を溜めて、杏は遥を睨んだ。
その目に、彼は言葉を失う。

ふざけてなんて、なかった。
真剣に本当だった。

心に渦巻くどろどろなもの。

上手く言葉にできなくて、苦しい。

杏は耐え兼ねて、掌に顔を埋めた。

「だって、わかんなくなっちゃったんだもん……っ」

どうすればいいか分からなくなって、
心が痛くて堪らなくて、
身体がバラバラになってしまいそうで、
どうしようもなくなった。

ただ、綺麗な世界を生きるには辛くて、逃げようとしただけだった。

……どくりと、心臓が嫌な音を立てたのは、果たしてどちらか。

「そんな……頭ごなしに、怒鳴んないでよっ」

頭がぐちゃぐちゃになる。

いっそ脳なんて溶けてしまえばいいのに、と思う。

嗚咽を堪えようなんて頭は回らなかった。
呼吸が引き攣れる。
息がうまく吸えない。
それでも、胸が痛いのはちっとも良くならない。
涙は止まらない。

遥はそんな彼女に何を言うべきか分からなくなって、手を伸ばした。

遥が目の前にいるのに独りで泣く杏は、初めてだった。

遥の指が彼女の頬に触れると杏はびくりとし、

「やっ!!」

その手をはたき落とした。

遥は目を見開き、息を詰めて彼女を見つめる。

杏は荒い息を繰り返して、涙に濡れた瞳で遥を見上げていた。
そこには、自分が傷ついたような色が見えた。

「……っ!」

拘束が緩んだ隙を突いて廊下に駆け出す杏。

その背を、遥は追えなかった。

初めての……拒絶。

彼はただ、ひりひりと痛む手を、無言で握り込んだ。