闇夜に笑まひの風花を

「不甲斐ないのね。惚れた女一人守れないなんて」

兄弟はその毒のある言葉に、彼女を睨み付けた。
しかし、その目は遥だけを見下ろしている。

「あなたは何も知らないからそうやって苦しむのよ。守る方法なんて万とある。あなたの母はそれを遺しているのに」

裕は弟の頭を抱き込んだ。

遥は知らないのだ。
自分を産んだ母が誰なのか。
知らないのだから、勘づかせたくはない。

遥は不思議そうに兄を見上げてきた。
その瞳の色は、同じだ。

半分だけであろうと、彼らが血の繋がった兄弟なのに代わりはない。

「力がないと嘆くのは誰でもできる。でも、果たしてそうかしら。探さないなら、見つからないわ」

そこでリルフィはちらりとヒェンリーを見やった。
彼は俯いたまま震えている。

「守れなかったことを誰かのせいにするのは、阿呆のすることよ。私の血筋の者がそうして落ちぶれていくのは、喜ばしくないわね」

「あなたは……」

問うたのは意外にも裕だった。

「リルフィ・ユギ・アミルダ。
そのアレキサンドライトのペンダントは私の形見。私と現実を繋ぐ神器よ」

膝を折った彼女が杏の胸元に触れると、痣の血は止まり、途端に乾き始めた。

「弟アルはそれを王の印としたのね」

その瞳に宿る、愛しさ。
二代目アルファル・ユギ・アミルダは琥珀色の髪毛だったという。

「あなたが蘇らせたのは、二代目だったのですね」

血が止まったことで、多少は話せるようになったのか、杏が遥の腕の中で呟く。

リルフィが浮かべるのは哀しい微笑。
それは那乃と玲香を彷彿させた。

そのとき、一段と大きな咆哮が轟いた。
それで初めて気づいた遥が頭上を見上げ、身体を震わせるのが伝わる。

「なんだよ、あれ……」

蠢く影の隙間から星がちらついているのだと思っていたそれは、それの目だった。

金色に光るそれを細めて、まるで獲物を狙うように見る先は……。

「王子様、二人を離さないでね。アンジェの傍に居て」

素早く飛んだ指示に裕が腕の力を強くすると同時に、暴風が吹き荒れた。

「……なんで、なんで、なんで、なんで!! なんで俺の 願いが叶えられない!? 俺は、俺はずっと……この日を 待ちわびていたのに!!」

ヒェンリーの瞳が金色に光る。
三人を庇うようにリルフィが対峙した。

「召喚者の願いを叶える。それが鉄則だもの。アンジェがお前にその権利を譲らない限り、お前の願いは叶えない。たとえアンジェが譲っても叶えたくはないがな……」

しゃあん、とどこからか鈴の音がした。
それは、彼らには聞き知った音色だった。

ヒェンリーはがくりと膝をつく。

「己の力が足らぬからと言って、他者を利用しようなどという外道の願いなど、ろくなものでもあるまい」

痙攣のように小刻みに震える身体。

「__っ」

彼の悪意に触発され、力を貸そうとした魔はリルフィによって弾かれるような攻撃を受け、杏を睨み、彼女は金縛りに身体を硬直させた。

「 アンジェ、願いはその魔のことでしょう。早く願いなさい」

願いさえすれば、消すことができる。
それなのに、ことごとく邪魔をしてくれる上に、杏は舌さえ動かせなくて、引きつれた呼吸を繰り返す。

立ち上がったヒェンリーは、口元を血で汚しながらも呪いの言葉を吐き捨てた。

「消させるものかっ!王家の血など滅んでしまえ!! 死んでしまえば良い!!」

「っヒェン!!」

高い女の声。
現れたその姿に、裕が名を呼ぶ。

「琳」

琳はヒェンリーのところに走り、その頬を叩いた。

その音で、杏の金縛りが解ける。

「あんた何してんの!? バカなことばっかりして!!」

「うるさい、黙れっ! 俺は、俺の願いは!」

そのまま始まった押し問答に眉をひそめながら、リルフィは知られぬよう呪文を紡ぎあげていく。

「言ってるでしょっ!チェイはもう戻らない!あんたの願いは幻想なんだ。もう諦めなって!!」

僅かな空気の震動に気づいたのは、杏と遥の二人。
杏がほとんど力の入っていない手で彼の裾を引っ張り、頷き合った。

「違う!叶うんだ!チェイは戻ってくる!! 俺が願えば、始祖に__!」

リルフィが組み上げた呪文を完成させる前に、二つの唄が重なり響く。

途切れ途切れに眠りの唄を歌う杏。
それに合わせて、祈りの唄を奏でる遥。

それは、玲香がよく唄った子守唄だった。

リルフィは驚いて彼らを見下ろした。

唄に触発されて、彼女の記憶が交わる____。