杏はゆっくりと身体を起こす。
それを遥は咎めようとして言葉を飲み込み、結局手を貸した。
違和感を辿ると、左の腕に点滴の管が刺さっている。
弱りきった身体に、せめてもの栄養を供給している、言わば命綱。
しかし、彼女はそれを鬱陶しく感じ、咄嗟に管を抜こうとした。
これを抜けば、きっと血が流れる。
少しは、この忌々しい血が減るかもしれない。
そして、固形物を受け付けなくなった身体に、この点滴はなくてはならないものだけれど、これがなくなれば、身体は生命維持をできなくなる。
この血が身体を巡ることもなくなる。
そう。
これさえなければ――。
しかし、管を抜こうとした手は、まるで予想していたかのように遥に止められた。
そのまま、無言で彼を見返す。
赤銅の瞳は、死に急ぐことは赦さないと語っていた。
それは、あの日のように。
空の蒼に似合わぬ、私を縛る約束をくれたときのように。
「ねえ、はる?
約束、覚えてる?」
彼らが交わした約束など、多くはない。
ましてや、目まぐるしく変わった状況と環境で、それでも有効なものなど……。
『俺は城の楽士になる。だから、杏は舞姫になって。 俺の作った曲で、そんな風に舞ってくれるのが見たい』
「はるは、王子なのに…はるが楽士になれないことは分かりきっていたのに、どうして、そんな約束をしたの?」
嘘を吐くことを、嫌うあなたなのに。
どうしてわざわざ嘘を____?
杏は恨みがましい瞳で彼を見返した。
「嘘を吐いたんじゃないよ」
彼女を見つめる瞳は、相変わらず愛しさに細められている。
だからどうしても、杏には彼が笑っているように見えた。
「でも…っ!
はるが王子なのは変わらないでしょう。
私が忘れていても、あなたはずっと知っていたはずでしょう?」
ぎゅっと、彼の腕をつかむ指に力が入る。
爪が彼の肌に赤い痕を残す。
彼女は、記憶のない少女を騙すような真似をした彼が腹立たしいのだった。
「忘れたことなんて、なかった」
ふと、責める杏の瞳から目を背けて、吐息と一緒に吐き出す。
それはまるで、忘れたかった、と言っているように彼女には聞こえた。
「じゃあ、どうして?」
すがるように、泣き出しそうに、彼女は理由を尋ねる。
どうして彼は、こんなにも哀しんでいるのか、と。
遥は、赤銅の瞳で杏を見つめながら、苦く笑った。
それは決して彼女に見せようとはしなかった、苦悩の表情だった。
「忘れたことなんてなかったよ。変わることも、なかった。
杏も、知っているだろう?
父上は、兄さんと同じように俺を愛してくれない」
それを遥は咎めようとして言葉を飲み込み、結局手を貸した。
違和感を辿ると、左の腕に点滴の管が刺さっている。
弱りきった身体に、せめてもの栄養を供給している、言わば命綱。
しかし、彼女はそれを鬱陶しく感じ、咄嗟に管を抜こうとした。
これを抜けば、きっと血が流れる。
少しは、この忌々しい血が減るかもしれない。
そして、固形物を受け付けなくなった身体に、この点滴はなくてはならないものだけれど、これがなくなれば、身体は生命維持をできなくなる。
この血が身体を巡ることもなくなる。
そう。
これさえなければ――。
しかし、管を抜こうとした手は、まるで予想していたかのように遥に止められた。
そのまま、無言で彼を見返す。
赤銅の瞳は、死に急ぐことは赦さないと語っていた。
それは、あの日のように。
空の蒼に似合わぬ、私を縛る約束をくれたときのように。
「ねえ、はる?
約束、覚えてる?」
彼らが交わした約束など、多くはない。
ましてや、目まぐるしく変わった状況と環境で、それでも有効なものなど……。
『俺は城の楽士になる。だから、杏は舞姫になって。 俺の作った曲で、そんな風に舞ってくれるのが見たい』
「はるは、王子なのに…はるが楽士になれないことは分かりきっていたのに、どうして、そんな約束をしたの?」
嘘を吐くことを、嫌うあなたなのに。
どうしてわざわざ嘘を____?
杏は恨みがましい瞳で彼を見返した。
「嘘を吐いたんじゃないよ」
彼女を見つめる瞳は、相変わらず愛しさに細められている。
だからどうしても、杏には彼が笑っているように見えた。
「でも…っ!
はるが王子なのは変わらないでしょう。
私が忘れていても、あなたはずっと知っていたはずでしょう?」
ぎゅっと、彼の腕をつかむ指に力が入る。
爪が彼の肌に赤い痕を残す。
彼女は、記憶のない少女を騙すような真似をした彼が腹立たしいのだった。
「忘れたことなんて、なかった」
ふと、責める杏の瞳から目を背けて、吐息と一緒に吐き出す。
それはまるで、忘れたかった、と言っているように彼女には聞こえた。
「じゃあ、どうして?」
すがるように、泣き出しそうに、彼女は理由を尋ねる。
どうして彼は、こんなにも哀しんでいるのか、と。
遥は、赤銅の瞳で杏を見つめながら、苦く笑った。
それは決して彼女に見せようとはしなかった、苦悩の表情だった。
「忘れたことなんてなかったよ。変わることも、なかった。
杏も、知っているだろう?
父上は、兄さんと同じように俺を愛してくれない」

