杏は遥の赤茶の髪毛を慈しむように梳く。
何度も何度も、愛しさを伝えるように。

「頼むから、無理をしないでくれ」

耳元で囁かれる、それは懇願。

無理なんてしてないわ、なんて誤魔化しは口に出来なかった。
ろくに食事も摂らず、ろくに睡眠も取らず、息を吐くような休息もない、そんな生活をしていたのだから。
先輩の舞姫たちに誘われたからと言っても、弱りきった身体に急に料理を詰め込んで、消化する暇もなく驚いた胃はそれらを吐き出した。
ただ、それを上手く隠していただけ。
立っていることすら辛かったにも関わらず、彼女は更に舞を舞った。
栄養も睡眠も足らず、しかも要らぬ負荷を掛けられ力を抑制された身体に、耐えられるはずがなかったのだ。

「いくら急がなきゃいけないと言っても、頼むから…っ」

死に急ぐような真似は、やめてくれ。

喘ぐように吐き出された、苦しい声。
彼女はただただ、瞑目しただけだった。

杏から何の反応もないのに我慢ならず、遥は上体を起こす。
杏色の瞳を隠して、彼女は口元を微かに緩めていた。

「あのね、ハル…。裕様がね、認めてくれたの。私に新年の式典に出ても良いって、舞姫として踊って良いって……衣をくださったの。
生成り色の、アミルダの色を。私に……」

だから、みっともない真似は出来ないのだ、と彼女は言う。
中途半端なことはしたくないと…。

どんなに急がないといけなくても。
どんなに焦っていても。
どんなに辛くても。
幼い頃から抱き続け、彼女を支えた夢。
それが一時でも叶うことが、それを支援してくれる人がいることが、ひたすらに嬉しくて。

鎖に繋ぐようで彼女を守ってくれた裕。
それはひたすらに優しく包み込んでくれる遥とは違うようで、
しかし実はひどく似ていたのだ。

遥はどこか寂しそうに笑い、彼女を見つめた。

「兄さんも、君を愛してる」

キミを、アイしてる。

ああ、それはなんて…、
なんて____甘い毒なんだろう……。

兄さん『も』____なんて、彼はなんて、ズルいんだろう。

忘れていたかったことをわざと突きつけて来た彼に、杏は苦く返す。

「でも、憎まれてるわ。
憎まれていて、私が平気で居られると思う?」

私は、そんなに強くない。