この世の摂理では、死んだ人間が生き返ることはない。
決して、だ。
人間はいつか必ず死を迎える。
生きることと死ぬことは決して切り離すことはできない。
始まりがあれば終わりがあるように、終わりがあるからこそ始まりがあるからだ。
けれど、それを分かっていても望まずにはいられない。
喪った命が惜しくて、哀しくて。
それが己の人生において大切な存在であればあるほど。
自らの命と引き換えにしても良いと思ってしまうほど。
しかし、その望みは決して叶うことはない。
否、叶ってはいけない。
それは、世の理を犯す行為だから。
しかし、どんなに頭で理解したつもりでも、感情がついていかないこともある。
感情が昂ぶりすぎて、我を失うこともある。
決して犯すことのできない、犯してはならない行為だと知っていても、人間は望まずにはいられない。
それが人間の愚かしさであり、愛しい部分でもあるが。
いくら望んでも叶わないことは多々あることだ。
いくら努力を重ねても叶わないことも、ままあることだ。
生きるということは、簡単ではない。
単純ではない。
一筋縄でいくはずがない。
どんなに辛い目に遭っても、どんなに苦しくても、
それでも生きている以上、未来を生き続けなければならない。
人間は儚く弱い生き物だ。
だが同時に、強かな生き物だ。
アンジェは生き続けなければならなかった。
辛い記憶を闇に葬ってでも。
死ぬことを赦されなければ、生きる以外の選択肢はなかった。
役に立たない生命は、捨てる価値もなかった。
壊れることさえ許されない心は、守るために忘れるしかなかった。
未来を生きるために、今や辛く痛いだけ過去を捨て、生き続けたのだ。
いつか償うために。
生きることが償いとなるために。
忘れることが逃げであったとしても。
逃げたことすら罪と加算されても。
償いも、反省も、後悔も、懺悔も。
すべてが今更ではあるが、苦しむことが贖いとなるのなら。
どんなに辛かろうと、生きなければならなかった。
生きる意味がなかろうと、簡単に生命を投げ捨てることは赦されなかった。
すべては、己の被った罪のために。
それこそが、摂理であるが故に。