闇夜に笑まひの風花を

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空が、蒼かった空が茜色を通り越して藍色に染まる。
そして、深い紺色へと移り変わる。

その様を、杏は見るともなしに見上げていた。

太陽が地平線に沈み、月が顔を出す。
淡く、痛みを伴う月光。

仰いだ月は、夜空に綺麗な円をくり抜いていた。

杏は窓辺に腰を掛け、糸が切れた人形のようにじっと見つめる。
彼女の胸元に踊るペンダントが、細い光を取り込んでいた。

昼間、晃良はああ言ったが、杏と芽依の場合、決定的に違うところが幾つもある。
その中でも最たるものが、囚われているもの、だ。

芽依は自分の思いだった。
諦めようとしたら、諦められる程度だった。

けれど、杏は違う。
己の内に潜む影という点は同じだが、杏を蝕んでいるものは魔だ。
悪霊とかそういう類でもなければ、杏自身が生み出したものでもない。

そして、彼女は贄だ。
杏の身体が蝕まれているというのは、比喩でも何でもない。
生命を、生気を、毎日の食事にされ、杏の寿命は分からない。

ゆっくりとか、落ち着いてなんて言ってられない。

自らの命を失うだけなら構わなくても、もし杏が屈して魔が顔を出すことになれば、一体どれだけの被害が出るなんて予想もできない。

人はそれぞれがいろいろな人生を歩んでいる。
それ故に、生命の重みは一つでも重い。
潰れてしまいそうなくらい。

それを彼女は知っていた。
犯した罪が思い知らせていた。

もう二度と、他人の人生を潰し生命を奪いたくはない。

それが、彼女の切望であり、原動力だった。

しゃらり、と。
手の中で簪が音を立てる。

杏は泣きそうにそれを見つめた。

それは、冷たかった。
それは、無機質だった。
それに遥との生活を思い返してみても、そこにあの頃の温もりはない。

杏は自らの身体を抱き締めた。

この部屋に、温かいものなんて一つもない。

立てた膝に顔を埋める。
唯一の有機物を抱き締めながら。

夜色のローブを着ていて、寒くはないはずなのに。
鳥肌が、治らない。

心を吹き抜ける隙間風。
痛む傷を撫でて通り過ぎる。
寒い寒い、寒くて苦しい。

心をぽっかりと穿つ穴が、痛くて、寒くて、苦しい。

私は、ひとりぼっち。

この広くて狭い世界で、独りきり。

どんなに探しても、温もりは見つからない。

穴を埋めてくれる温もりが、見つからない。

冷たい風が吹き抜ける。
彼女を嘲笑い、無造作に肩に流している長い髪を弄ぶ。

穿たれた穴は、まるで夜空に浮かぶ月のよう。

あんな風にぽっかりと、穴があいている。