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翡苑の部屋を辞した杏は、自分の仕事部屋には寄らなかった。
素通りして、彼女が向かい合った扉は__開かずの間。

初日に晃良に見咎められた扉の前。

その部屋で起こった大惨事というものが何を表すのか、杏はもう分かっていた。

杏はドアノブに触れる。
特に呪術は掛けられていなかった。

部屋の中は真っ暗だ。
それでも、廊下のわずかな明かりによって照らされたその部屋の床は……赤かった。

杏は開かずの間に入り、扉を閉める。
指を鳴らすと、部屋中に明かりが灯る。

照らし出された全貌は、息を呑むほどだった。

十三年前の大惨事について知らないものが足を踏み入れれば、おそらく嘔吐くらいはしただろう。
正気で、見られる光景ではない。

「……ふっ……」

杏は口元を抑えてその場に座り込んだ。
涙が止めどなく頬を伝う。

__彼女の罪が、ここにあった。

その部屋は真っ赤だった。
床も、壁も。
天井まで、赤が飛び散っている。

どれだけの血が、流れたのだろう。
どれだけの人が死んだのだろう。

忘れてしまった杏は、もう知り得ない。

ここで、彼女の両親は死んだのだ。
ここで、裕と遥の母は死んだのだ。
他にも、たくさんの呪術師が死んだのだ。

小麦色の長い髪毛。
それが、裕と遥の母だった。

真っ赤だった。
すべてが赤に染まっていた。

部屋も、骸も、髪までも。

その中で、染めきらぬものもあった。
赤だらけの空間にぽつりと浮かぶ白。
彼らの、骨だった。

「うっ、あっ、ああっ……」

ごめんなさい。
ごめんなさい。

いくら謝っても足りないけれど、謝らずにはいられない。

泣き虫だった私が、あの夜から泣けなくなった。
泣いている暇なんて、なかったから。

それでも。
悲しくて、辛くて……。

だから、ここで泣かせて。

心が壊れる前に、泣かせて。

これからは泣かない。
本当に泣けなくなるから。

今だけは。

「……わああああぁぁぁぁぁっっ!!!!」

ごめんなさい。
ごめんなさい。

あなたたちの生命を奪ってごめんなさい。

罪を、忘れてごめんなさい。

十三年も呑気に笑っていてごめんなさい。

私の罪の所為で狂わせてしまった殿下も、遥のことも、不幸にはしない。

これ以上、巻き込まない。

……そう。
あの、黒髪と常盤色の瞳の少女も。