杏の瞳が揺れる。
縋るように、裕の腕を掴む。

「……そんな勝手に未来を決められて、殿下はそれでよろしかったのですか?」

裕は苦笑する。
けれど、それが諦めを含んでいることに、彼はきっと気づいていない。

「良いも悪いも、王族とはそういうものだ。婚姻など、思惑や策略の手段に過ぎぬ」

この、どこか寂しそうな瞳の色を知っている。
昨夜から、何度も思ってきたことだ。

怯えの混じった色に居た堪れないのも、
悲痛な叫びに切なくなるのも、
泣きそうな微笑を浮かべる彼を愛おしいと思うのも、
全部、忘れていた幼い頃の彼女の感情。

裕の婚約者だった彼女の想い。

自分は確かに、彼を好いていたのだ。

杏は裕を見つめる。
泣きそうな瞳で見上げて、彼を掴む指に力を込める。

「それで、私が記憶を失って泉様に引き取られたから、婚約が破棄され、那乃を娶ったということですか」

知らず責めるような口調になった彼女に、裕は微笑した。

「一宮の娘は、もともと遥の婚約者だった」

ここにきて、またしても思いも寄らない新事実。
以前は、裕と杏、遥と那乃の組み合わせだったらしい。

「それを遥が破棄したから、代わりに私の婚約者となったのだ。一宮にしてみれば、棚から牡丹餅だな」

第二王子の妻から、この国の妃になれる特権を手にした一宮。
けれど、那乃にとっては、遥を取られたと思い込んだのだろうか。

『破棄された』のではなく、遥は『破棄した』のだという。
今まで誰かの言いなりで流されていた彼ら。
その中で、初めて遥が自主性を見せた。

けれど、裕は未だに流されている。
今まで、彼の婚約者となったことがあるのは、二人。
彼らの母を殺したという、彼が愛しいと語った人は、どちら……?

「__あなたの、愛している女性は、一体どなたなのですか……」

杏は息苦しさと頭痛を無視して、彼に尋ねる。
裕の顔が見られなかった。

きっと、杏は分かっていた。

それを認めたくなかったのだ。

「お前もとんと鈍いな。遥がかわいそうだ」

そう笑って、裕が告げた台詞。

杏はそっと、目を伏せた……。