彼は静かに涙を流していた。しゃくりあげもせず、涙と鼻水をだらだら流して、だけど目だけは無理に力を込めたような変な顔だった。
 彼は元々大して整った顔をしていない。だからいつもと大差ないような顔だ。だけど変な顔だった。言いたい事が言えない顔だ。自分でも何がしたいのか、何が言いたいのか分からない顔だ。混乱しているんだ。静かに、静かに。
 その混乱の吹き出した先が俺なんだと思う。不思議なもんだ。俺と彼は、ネットで知り合った、ただのルームシェアの相手に過ぎないのに。
 こんな間柄になったきっかけなんか忘れた。ただ俺がいつしか彼に妙な憐憫の情を持った頃からこうなって行ったような気がする。彼を受け止めてやりたいと思ったんだろう。

「あんたがこれで楽になれるんなら、俺は何されたっていい」

 俺がそれだけ言って口を閉ざすと、彼はひとつ大きく息をすった。そして俺をまた何度も撲った。
 やっぱり彼は、ただ泣くばかりだった。

 そのうち疲れたらしい。壊れたように、くたくたと手の平ではたくばかりになった。
 可哀相に。彼の手も痛いに違いない。
 彼はへたりと床に座り込んで呼吸を整えている。俺は匍匐前進のような動きで体の向きをずらし、彼の方へ頭を向けた。
 そして力無く垂れ下がる手を掴んだ。今まで体を強張らせていたから、間接や筋肉が軋む。それでも、ぐっと腕を伸ばして両手を取った。ほてった手の平だった。

「痛いだろ」

 聞くと、彼は体をはねさせた。

「触ると痛い?」
「痛いのはおまえだろう」
「俺なんか大した事ない」
「血が」
「まめが潰れたから」
「痛いだろう」
「あんたも痛いだろう?」
「うん」
「なら良いんだ。同じ『痛い』のが欲しいんだ」
「分からない」
「分からなくていい。あんたは分からなくていい」

 手を離して、右手を彼の頬にやった。あたたかかった。涙は傷にしみなかった。だから傷だらけにされてもつらくなんかない。

おわり