暑い日が続いている。天気予報では、今年の夏は何年かぶりに猛暑になるそうだ。これで景気も少しは回復するといいが、と村下陣は思った。
 今日もまた、だらだらと長い無限坂を陣は上っている。樋口に頼まれた資料を図書館に借りに行った帰りだった。
 坂の終わりに差し掛かったころ、不意に後方から自動車のエンジン音と共にクラクッションの怒声が聞こえてきた。陣は慌てて、坂の真ん中から端の方に避けた。自動車は物凄いエンジン音を立てて坂の果てまで行ってしまった。因みに自動車は赤いイタリア車で、所謂スポーツカーである。
 陣がせっせと無限坂を上りきると、先程のスポーツカーが田口探偵事務所のまん前に路上駐車していた。そして、陣がやって来るのを見計らったかのように一人の男がスポーツカーから姿を現した。
「よお、元気だったかい。天才脚本家の和久井一成でーす。」
 陣はその真っ白いスーツを着た、怪しげな男をよく知っていた。男の名前は、和久井一成。主にテレビドラマを中心に活躍する天才脚本家であり、陣から見ればよく企画を奪う、謂わば憎き商売敵と言った人物である。年齢は陣よりも二つ上だが、背格好や雰囲気から云っても同い年と云った感じであるうえに、声がそっくりなので電話をすると良く間違えられ、陣にしてみれば目の上のたんこぶである。もっとも、本人は陣の事を盟友と思っているらしいが。
「元気なもんか、お前と違ってこっちは仕事が無いんだよ。」
「何いってんの。自分から断ってるくせに。僕は君のそう言う、なんと言うか芸術肌って言うのかアーティスティックな所を尊敬しているんだ。」
 和久井本人は正直にそう言っているのだが、今の陣にすればそれは嫌味以外の何物にも聞こえない。なにしろ現実問題として、仕事がこないのだ。