思い出したくないのに。
 彼女はいつも僕の前、ふいと現れて、こう告げる。
 妖艶とも言える笑みを、その表情に従えて……。


「ねぇ、貴方なら、私を殺してくれる……?」




「始め!」

 ゆらりと揺らいでいた目の前の彼女を、幻として消し去ったのは、合間に立つ審判の声だった。
 途端、身に付けた重い防具の存在を、身体が思い出す。

(……そうだ、今は練習中だったんだ)

 僕は思い出したように、持っていた竹刀を構えなおした。
 練習中といえど、きちんとした試合方式である以上、手は抜けない。

(どうする?…小手で小刻みに攻めるか、それとも一気に面を取りにいくか……)

 思考を張り巡らせながら、僕は相手と向かい合う。
 相手もまた、僕の出方を見ているのか、竹刀を構えたまま動かない。
 一見、隙だらけと思えるが、剣道というものは見えない精神的なものが、大きく影響してくるのだ。
 例えば集中力、そして気合い。それらは「ここぞ」と言う時に、その力を遺憾なく発揮する。
 僕が見る限りでは、相手はそれらを兼ね揃えているように思えた。
 基本の構えながら、まるで隙がない。
 その毅然とした構えから、僕はまた、あの錯覚を起こしそうになる自分に怯えていた。

(……似ている?)

 構えた竹刀の先が、無意識の内に震え出す。
 それを嘲笑うかのように、またその面影が僕を惑わせた。

「ねぇ……」

 相手の姿に重なるようにして、彼女は僕の前、佇んでいる。
 夢の中でしか存在しない事になっている彼女。
 でも、何処かで会った事があるような感覚が、今も僕を苛ませる。
 彼女が笑う。
 あの妖艶な表情で。
 そして、言うのだ。

「ねぇ、貴方なら、私を殺してくれる……?」