喋り始める頃から僕は天才と呼ばれていた。母親が何でも覚える僕を知り合いの研究者の所に連れて行き、簡単なテストをした。そこで僕の知能指数が異常なまでに高いことが判明した。もちろん僕が小さすぎるからただの偶然かもしれないと言うことで、少し大きくなるまで僕はテストを受けに堂本博士の研究所に通った。
 テストの意味がわかってからはあんまり問題を解かないようになった。それでも人並み以上の結果は出た。手加減の仕方がよくわからなかったのだ。頑張って結果を良くして助手の鈴木に騒がれるのが好きじゃなかったし、一度本気で解いた時に堂本博士が困った顔をしたのでこのままなんとか誤魔化しながらやっていこうと思っていた。
 皮肉なことに、僕の知能が衰えることはなかった。年を重ねるごとに、より多くのことを吸収していった。それは、世間一般に言う天才の範疇を遥かに超えていた。僕の知能が異常なレベルであることがわかると母親は僕と最低限の話しかしないようになった。目も合わせないようになった。そんな中でも堂本博士だけは僕の知能が高いことを喜んでくれた。
 堂本博士は本物の子供のように僕のことを可愛がってくれた。六歳の時、研究室に僕の部屋を作ってくれた。祭りに連れて行ってくれたし、遊園地にもよく連れて行ってくれた。僕は観覧車に乗るのが大好きで、観覧車に乗るときは他の物に乗るときよりはしゃいだ。そんな僕を見て堂本博士は何回も観覧車に乗せてくれた。僕は堂本博士にだけはわがままを言うことが出来た。僕のことを子供のように可愛がってくれる堂本博士をお父さんだと錯覚していたのかもしれない。僕が喜ぶことを堂本博士がしてくれるように、僕は堂本博士が喜ぶことなら何でもしたいと思った。だから目立つことは好きではなかったが、堂本博士の勧めで記憶力がいい天才小学生としてテレビに出たこともあった。
 このままずっと堂本博士と一緒にいられると思っていた九歳の頃、僕は大きな過ちを犯した。