「や、やだっ。忘れて!」

心さんにそういっても「ナオトに教えてあげなきゃねー」なんて脅すし。

「やめてよ」

発表前なのに、こんなにも呑気な空気が流れている。

「伊東」

先生があたしを呼ぶ。

「あ、はい」

「二人読んだら、その次だ。立てるか」

ゆっくり腰かけてたからか、そんなにフラフラした感じがない。うん、大丈夫だ。

「はい」

そう返すと「そうか」とだけいい、先生はまた離れて行った。

今まで黙ってその場にいたお父さんが「マナ」と呼ぶ。

「はい」

「お父さんはここで待ってるからね」

それはちゃんと聞いているよって言うようにも聞こえた言葉。

「はい」

一人読み終わり、次の人が壇上に上がった時、あたしはスタンバイをしに立ち上がった。

「付いてようか、俺」

凌平さんが肩を支えてくれる。でも、反対側にお兄ちゃんが来て「俺が行く」という。

「お前はこの学校の関係者じゃないだろ。不自然だ」

「でも、卒業生だし」

「今は関係ない。ほら行くぞ、マナ」

お兄ちゃんに支えられて、ステージ横に向かう。顔だけ振り向くと、みんなが小さく手を振っていた。

「俺はこの場所で、お前が下りてくるのを待ってるから」

お兄ちゃんを横目で見ると、今までになく優しい笑顔をくれる。

「お前を待ってるやつはたくさんいる。お前はあの女とは一緒じゃない。繰り返しはしない」

さっきのあたしの疑問への答えかな、これって。

「お前はお前だ。だから、お前らしく話してこいよ、ぶっちゃけたいこと、何もかも」

胸に手をあてて、ゆっくりと呼吸を繰り返す。横にはお兄ちゃん。向こうには、みんな。

ママがこの場所にいてもいなくても、いつか伝わることを願うしかない。

揺らがないものがあることを、認めるしかない。ママのことが好き。それは変わらない。

「よし、お前の順番だ」

お兄ちゃんが背中を押す手のぬくもりを感じながら、

「十番。定時制一年。伊東マナ」

あたしは階段を上がっていった。

 壇上に上がり、会場を見渡す。不意に心さんと視線があった。

(うん。やっぱり自分の言葉で、らしくしよう)

心さんへ笑いかけたのは、心の中でお礼を言ったから。聞こえないはずのお礼を。

原稿用紙を手にし、すこし高く掲げて、

「伊東!」

先生の大きな声。それでもやめずに、あたしは原稿を破き捨てた。

手のひらから落ちていく紙が雪みたいできれいだなんて思ってたら、自然と顔が笑ってた。

息を吸い、顔を正面に向け、大きな声で自分の名を告げた。