同じ人間以外に「命」を獲られる事のない私達は安堵し、傲慢になってしまった――捕食される側ではないが為に――。
何も礼子さんは、人間が生きてゆく為に動植物を「殺し」命の糧を得る事を否定しているのではなく、彼らの命を「頂く」という行為が軽んじられ、敬意の念さえも失われている現実が悲しく、歪んでいる――と、私達に問いかけている――。
大量消費の為に、大量生産に乱獲と食欲の赴くままに突き進む。そこに慎ましさなどない――――ただ、欲に従い、食べ散らかす――余った食物は罪悪感もなく廃棄される――1秒、1分、1日、時が過ぎただけで命の糧になる資格を失い、毒物であるかの様に捨てられてゆく命――。
狩る側、狩られる側――両方が持ち得る緊張感が私達人間は持ち合わせていない――その果てに体得したのが先の思考と行動。
「だから、人間も狩られる側になってみればいいのよ――――」
憎しみ、言った――。
つまり、人間で置き換えて考えてみなさい――そう礼子さんは私に想像力を開放しなさいと刺す様な眼で促した――。
捕食される人間――食物としての人間――食われる人間――。



