「なにが、怖かったんだろう。昔は」
それは、まるで独り言のようだった。
「失って惜しいと思うものはなにもなかったから、きっとなにも怖くなんてなかった」
あたしは、思わず尚の手を握った。相変わらず温度の低い掌を、必死に握りしめた。それに合わせて、尚の指があたしの指に絡まる。
「死ぬことさえ怖くない人間は、きっと生きていくことが怖いのかも知れない」
何かを失うよりも、ずっと。
ぽつりと呟いた尚の言葉は、あまりにも悲しくて、冷たくて、少しでも暖めて上げたくてその手を両手で包み込んだ。
「今も、そう思う?」
確かめるように、そう問わずにはいられなかった。
あたしの顔を見て、尚はくっと口角をあげた。いつも通りの、余裕たっぷりの笑み。
「それが、おかしいんだよ」
「なにが」
すっと、腕があたしの腰にまわされて、尚との距離が一気に縮まる。
「これからのことが、結構楽しみだったりする」
「そうなの?何かやりたいことが見つかった、とか」
尚は、ゆっくりと首を横に振る。
ふわりと香る、尚のフレグランスが鼻を掠めた。反射的に瞳を閉じれば、唇にキスが落とされる。驚いて思わず目を瞬かせれば、本当に楽しそうに尚が笑った。

