例えば、だ。

高いところにいる人間が、一つのリンゴを手に持ち、その手を開く。
リンゴは下に落下する。
下にいる人間が手でリンゴを受け取る。

これを、感情をこめて見るとどうなるのか。
例えば、俺ならば、こう考える。

高いところの人間が、うっかり手を離してしまい、リンゴが下に落ちてしまった。
下にいた人間は、リンゴが偶然手の中に落ちてきて、ここぞとばかりにそれを取る。
上の人間は、下の人間にリンゴを取られて悔しがる。

と、まあ、こんな感じだ。

だが、いい見方をすれば、だ。

高いところにいる人間は、高いところのリンゴを取り、下の人間の為に落としてやる。
下の人間はそれを、受け止める。上の人間に感謝をする。

俺には、そういう見方は出来なかった。

だが、この隔離された世界から一歩出れば、様々な考えの人間が溢れかえっている。
もちろん、先ほどの例だって、他にもたくさんの見方があるように、だ。

気づいた俺は、かなりあせった。

今までのような、自分だけの考えしか知らないようでは、やっていけない。
自分の身は守れない。

一つの事実から、どんな考え方が出来るのか。

自分の考えとしてではなく、他人がどう考えるのかを推測し、対峙している人間が、どのような考え方をする人物であるのかを見極める。

その力が必要だと思った。