あの笑顔は、切なる願いを込めて押し出した柱に
娘が無事に取り付いた事を確認し、
 溢れ出る喜びに思わず微笑みが漏れてしまい安堵した、
そんな母の顔であった。
 
 そう、思えるの。
 
 あたかもイス取りゲ-ムで1つしかない
生へのイスを娘に譲り、
 自らは暗い死の淵へといざなう悪魔の様な
漆黒の濁流に身を委ねた、母の人生。
 
 母は、いつもそうだったわ。
  
 漁師で粗暴であった父につくし、
身を削って私を育ててくれた。
 
(ひとりっ子の夏帆は、とても甘えん坊で母親から10m以上の距離を置いたことが無い。 
 母がトイレに入っても、扉の前でひとり遊びをして待っている。

寝る時はいつも添い寝する母の左腕に縋り付くのが癖で、時には母親の耳を掴んでいないと眠れないと云う事もあった。

 母が消えてしまうのが、怖いのである。

 朝、目を覚まし隣に母が居ない事に気付くと部屋中はおろか海沿いの船付き場まで、大声で捜しまわり見付けると満面の笑みを浮かべ抱きついてきて離れない。

 もしかしたら夏帆は、この時すでに感じ取っていたのかもしれない。

 幼い夏帆に与えられた母と過ごせる、ひと時には限りがありそれは、残り僅かであると云う運命を。)