SONG 〜失われた記憶〜

「? …どうした? 急に笑って」
「さっきもママから同じ事言われた。パパが寂しがるって」
「……」

 父は顔を真っ赤にして近くにあったモーツァルトの楽譜を手に取ってそれに目を通す。可愛い。なんだかんだ言ってこの二人は仲が良い。だから嫌いになれない。

 一年に一回、いや半年に一回しか帰って来ないので普通ならば二人に対して冷たく接してしまうのかもしれないが、子供の頃病弱だった私を誰よりも心配してくれていたのは他でもない両親だ。沢山の愛情を注いでくれた。幼いながらもそれを感じていた。そんな二人を冷たくあしらうなんて私には出来ない。

「じゃあ、そろそろ行くね」
「ああ、無理するな」
「うん。パパもね」

 書斎を出て、家を出たのは九時十分前。門の前にはすでに事務所の車が待っていた。シルバーのワゴン車。窓はスモークガラスで見えなくなっている。

「おはよー」
「おはよう」
「…はよ」
「おはよ」

 車内にはもうすでに皆、揃っていて私が最後だったようだ。挨拶を交わしながら一番後ろの後部座席に腰を下ろす。隣には慎が眠たそうに窓に頭を預けている。

「眠い?」
「んー…しょうがないだろ、低血圧なんだから」
「着くまで寝てれば? 起こしてあげる」
「…サンキュ」

 そう言って慎は一分も経たないうちに眠ってしまった。あどけないその寝顔はまるで少年のよう。

 車はエンジン音を立てて出発する。

「あ、そうだ。詩」
「ん? 何」

 綾那が運転しながらルームミラー越しに私を呼び掛けた。

「レコーディング始める前に仕事の話があるんだけど時間いい?」
「私だけ?」
「そう。詩名指しでオファーがきたのよ」
「ふーん」

 何だろう? 雑誌の取材ならばこの場で言えばいい話だし、もっと大きな仕事だろうか? 面倒な仕事じゃなきゃいいけど…。

 私たちがいつも利用するレコーディングスタジオは郊外から離れた閑静な町並みに位置する。コンビニが歩いて十分ほどの距離にある以外は何もない。都会の喧騒から離れてレコーディングに集中出来るのでいつも利用させてもらっている。あの場所にいると時間の流れがいつもよりゆっくりと過ぎ、穏やかな気持ちになれる。

 賑やかな街並みが通り過ぎてゆく景色を見ているうちに次第に瞼は重くなり、いつの間に慎の肩に頭を預けて夢の中へ落ちてしまった。