ヒーロー

ひんやりと冷たい武道場の空気が、僕の頬を撫でた。



ケントの担いでいたエナメルバッグは、なるほど、二着の柔道着。



「ケントの道着とか、でかすぎて着れるわけないよ」



「中3の時の道着探して持ってきたから。コレならぴったりだろ」



用意周到に僕の分まで道着を持ってきたケントが、それを一着放る。



僕が受け取った真っ白い上等な道着のゼッケンはもちろん、“東中·倉木”。左腕に“静岡”と、赤の刺繍が入っている。



懐かしい、中学時代の道着だ。



誰もいない真っ暗な武道場だが、窓を開ければ月明かりが畳を照らす。もともと相手と至近距離で行うスポーツだから、これくらいの明かりでも恐らく柔道はできる。



「全日本の合宿でも、暗闇で練習とかあるらしいしな。これくらい余裕だろ」



ケントは心底楽しそうに、道着に着替えていく。



「見つかったらどうしよう」



僕も道着に着替えながら、不安を口にした。これは立派な不法侵入だ。見つかれば怒られるだけじゃ済まないかもしれない。



「逃げればいいんじゃね?先公じゃ俺とアユムにゃ勝てねぇよ」



物騒なセリフを口にしながらも着替え終わったケントは、畳の感触を確かめるようにトン、トンと足踏みをすると、そのままごろんと寝転んだ。



暖かそうなジャージを下に着込んで、そのまま柔軟体操を始める。



「もう。知らないよ、どうなっても」



そう言うと僕もケントが用意したジャージを着て、その上に道着を羽織り、ボロボロの黒帯を巻いて屈伸を始める。



ただ、



常識的な言葉を吐きながらも、



僕の胸はどうしようもなく高鳴っていた。