あまり大学へ来ることがなくなっていたさやとまさよ。各自、自分の目標へ向かってがんばっていた。

日曜日、めずらしく私は雅紀に会わず家にいた。
大学に入り仲良くなった西田君たちと、BBQへ行くと話していた。誘われたものの年上の私が行くと他の人達が気を遣うだろうと遠慮したのだった。

「瀬名!ちょっと下に降りてきて」

階段の下、大きな声で呼ぶ母の声が家中に響く。


「はぁ~い」


3階の部屋から2階へ階段を駆け降り、一般的な作りのリビングへ向かう。父親と母親、そして愛犬のモモがしっぽを振って待っていた。


「なにぃ~?」寝起きでひどい姿の私にあきれている。


「なにーじゃないの! 夏のアメリカ行きどうするの? お金の用意とかもあるんだから」

「あぁ、行くよ。でもバイト代じゃ足りないの…。ごめん」


「だから聞いてるんでしょ!」


卒論制作の為、日本の小児科病院での研修を佐倉教授に依頼したがなかなかいい返事が貰えず、アメリカへの渡航を計画していた。


「もうホームスティプログラムにも申し込んだし、特別に研修のお願いもしたから。7月末から9月頭まで行く予定」


私からの報告に新聞を広げた父は無言のままだ。

中学受験を決めた時も、留学を決めた時も同じように相談ではなく報告だった。


翌日ゼミの後、「岩堀さん」そう呼び止められた。

佐倉教授だ。


「この間の話なんだけど、やはり受け入れ先が難しいみたいだ」

申し訳なさそうに頭に手をやる。


「大丈夫です、分かってたことですから。できれば長野の県立こども病院に行きたかったですが…。アメリカに夏行ってきます」


「大丈夫ですか? 昔同じようにホスピスをテーマにした生徒が鬱になったので心配です」


そんな先生の言葉も今の私には取り越し苦労にしか聞こえなかった。


「がんばるんで、これだ!って思ったら卒論Aくださいね」

そんな私を見て、「わかりました」とそう言いながら教授室へと戻った。