ほんの数秒の出来事だった。小さな店の叔母さんは店の奥で再放送のテレビドラマを見ながら、二人を見ないふりをしていてくれた。陸上部の連中ははるか遠くで迂回していた。
 憲治と聖菜の唇が離れると、憲治は小さな声で聖菜にささやいた。
「俺は、今でも聖菜にしかもてない男だ。」
 憲治は眼を見開いたまま、優しく翳っていく空の色を涙で歪ませた。聖菜は、憲治に抱きしめられながら、ありがとうございます、と、まるで中学時代に戻ったかのような口調でつぶやいた。