「先輩……」
呼んだはいいけれど、私はその場から動くことができなかった。
照れではなく、事実を認識するまでに時間がかかるためだろうと思う。
パソコンの電源を入れてデスクトップが開くまで時間がかかるのと同じで、私も司書から恋人の「片瀬雛子」になるまで時間がかかる。
「お兄ちゃんだ!」
対照的に、子供たちは一斉に立ちあがり、一斉に入り口まで走り、一斉に彼へ飛びついた。
親たちもわきたち、囲むようにして眺めている。
「おっと。みんな久しぶりだね。元気にしてた?」
彼の声がかき消されるほど騒ぐ子供たちに、美咲は「ここは図書館よ」と注意をしたけれど、聞く耳持たずといった状況。
私は、ゆっくり深呼吸をしながら彼に近づいた。
「先輩」
やっぱり、なかなか「司さん」とは呼べない。
「片瀬さん」
どうやら彼も、以下同文。
「ただい――」
「おかえりなさい!」
彼の言葉を待たず、私は子供たちを押しのけて抱きついた。
みんなは一瞬水を打ったように静まり返ったけれど、持ち前の順応性ですぐにまた騒ぎ始めた。
「お兄ちゃん、雛おねえちゃんとデキてんのぉ?」
「うわあ、ラブラブだ!」
我に返り、あわてて身体を離した私は、弁解にもならない弁解をしたが、もはや収拾がつかなかった。


