初恋プーサン*甘いね、唇


彼が朗読会を辞めて以来、引き継いで館長自らが朗読者となり、子供たちに読み聞かせをしていた。


美咲が「話をつけておいた」としたり顔で言っていたから、おそらくは館長も彼と私のフランスでの顛末を知ったに違いない(何度も言うけれど、彼女の口は水素より軽いのだ)。


そして、今日もまた朗読会の日がやってきた。


いつもとは少し違う、特別な土曜日が。





「さて、今日は何を読もうかな?」


館長の言葉に、一斉にああだこうだと喋り出す子供たち。


その中に私のライバル、杏奈ちゃんの姿はなかった。


彼が辞めて以来、一度も来ないところを見ると、もう二度とここへは来ないのかもしれない。


彼女の気持ちはすごくよく分かる。


私自身、逆の立場だったら同じようにしていたと思うから。


「じゃあ今日は、ヘンゼルとグレーテルを読んであげようかな」


はーい、と元気よく応えるみんなの輪に入り、館長が真ん中で本を広げたときだった。


「遅くなりました」


入り口から声がしたので目を向けると、お母さんに連れられた杏奈ちゃんがいた。


「今日、お兄さんが帰ってくる日だからって、娘が『心の準備がまだ』とかなんとかで、時間がかかってしまいまして。遅れて申し訳ありません」


「心の準備?」


事情を知らない館長は首を傾げたけれど、すぐに笑顔に戻って杏奈ちゃんを「おいで」と輪の中へ呼んだ。