「来たよ~雛子」
顔をあげて入り口に視線を移すと、自動ドアが開いて男性が入ってきた。
蒸した夏風を連れて館内へ入り、近づいてくるこの人こそ、私が10年以上も想いを寄せている人だ。
半袖の黒いTシャツに黒のジーンズという、太陽光を吸い取らんばかりのカラスみたいな格好をして、こちらへやってくる。
「どうも、こんにちは」
私「たち」に気さくな笑顔を向けて会釈をした彼は、スクエアのムスクの腕時計をチラリと見て、シャツの胸元をパタパタとしながら前を通り過ぎた。
いつも、彼がカウンターの前を通るたび、なんだか甘い香りがほのかに鼻孔を撫でる。
お腹を空かせた虫なら、樹液と間違えて寄ってきそうな感じだ。
私の知らない香水だろうか?
「今日もいい匂いがするよね」
美咲の言葉に、無言でうなずく。
もし私が目を閉じているとき目の前に来たら、焼きたてのお菓子と間違えて齧りついてしまうところだ。
「おっ、いるいる」
カーペットにあがった彼は、思い思いに本を広げたり話をしたりしている子供たちに「こんにちは」と声をかけた。
彼に気づいたみんなは、「おやつの時間だよ」と言われてテーブルへ集まるように彼の元へ駆け寄り、ワァワァと大いにわきたった。


