その場所を見渡せる廊下の上では陽菜と玄野が小声でやり合っていた。
「ほら、ゲンノ。今だろ、フーちゃんの側に行って来い」
「いや、陽菜。邪魔しちゃ悪いんじゃ?」
「ええい、じれったいな、おまえは。年上とは言え結構いい男じゃんか、あの上皇とかいう人。フーちゃん取られてもいいのか?」
「いや、それはよくないけど……」
「だったらさっさと行け!」
 陽菜に押し出されるようにして玄野は庭に下り、そっとフーちゃんの側へ歩いて行く。そして弓道部の主将やっている時の姿からは想像もできない純情そうな口調と態度で、そっとフーちゃんに話しかけた。
「あ、あの、フーちゃん……俺もそこ、その、あの、す、座っていいかな?」
 フーちゃんは無言でにっこりと笑ってうなづく。一昔前のロボットみたいにギクシャクした動作で玄野はフーちゃんから数十センチ離れた池の淵の石の上に腰掛けた。陽菜は廊下の柱の陰から首を突き出してじっとそれを見つめた。二人の会話がまた耳に流れ込んで来る。
「あの、フーちゃん、さっきは上皇様と、なんか難しそうな話をしてたみたいだね。あ、いや、盗み聞きしてたわけじゃないんだけど、あの、その……」
「ああ、あれぐらい簡単よ。経済学の初歩の理論だから。まだこの時代には知られていないだけで」
「経済学?収容所でそんな事勉強できたの?」
「ううん、収容所って言っても、別に牢獄みたいな所ってわけじゃないのよ。ちゃんと学校と同じ勉強は教えてくれるし、それぞれ自分の部屋もあるし、塀の中ならスポーツしたり遊んだりも自由だしね。でも塀の外には一生出られないし、同じFDの子以外は友達も作れないし、恋愛や結婚もできない。だから、必死で逃げだして来たのよ」
「そうなのか……あっ!ごめん、嫌な事思い出させちゃったかな?」
「ううん、いいよ。ふふふ……ゲンノ君て、やさしいんだね」
「いや、俺はクロノ……ま、いいか」
 そんな事を話しながらどちらからともなく笑い始めた二人を陰から見守りながら、陽菜は別の意味で笑いながら、しきりに頭を上下に振っていた。