修の父親は、修が小学生の時に失踪していなくなったままだ。いなくなった理由もいまだにわからない。母親に聞いてもわからないというだけだ。
神奈川の鎌倉の片隅、閑静な住宅街に家があり、近くにある母の実家も裕福だったので父親がいいなくなってもお金にこまるようなことはなかった。
しかし幼いころ、突然と父親がいなくなったことは修の心を大きく傷つけ
父親捜しを母がしばらくしていたことを頭の奥深くに焼き付けたのだろう。
見つけた母のノートには、
「どこへいったの?どこにいるの?」
こうした文字ばかりが何百と書かれていた、母の涙の跡と一緒に。
それは刻印のように決して消すことのできない記憶。
父親がいなくなったことで祖父や祖母が頻繁に家に出入りし、そのせいか、ひねくれることもなく、明るく温厚な、ただなにかに執着する傾向があった。
2年生の時にささいなことで英語の教員ともめたことがある。この英語の教員、小沼は性格が悪いので高校でも有名で、語学能力の高い修を気に入るどころか、授業でも無視して挙手をしても指されることもなかった。たぶん発音が修の方が良かったんだろう。それくらいの判断はできたのだ。修の父は米国人と日本人のハーフだったから。
小沼は米国に大学在学中に留学していたが、米国人と結婚するのが夢だった。自分がハーフでもクオーターでもない小沼は、結婚することで自分の子供は少なくてもその血が入る。
元来、他にとりえもない小沼が英語をやるというきっかけになったのは、中学の時の初恋の英語教諭で外国人講師だったことにあった。