「今の若い人たちは」


この言葉が大嫌いだった。


なにかにつけて、大人の口から産み出されるこの言葉が、大嫌いだった。


あまりにも、わたしを、一括りにしすぎるから。


あまりにも、わたしを、小さくしすぎるから。


あまりにも、わたしを、他の凡弱な連中と一緒にするから。


わたしは、「今の若い人」じゃない。


わたしには名前があって、その名前は両親が(正確にはほとんど父親が)、死ぬほど悩んで悩んで悩み抜いて。


それでやっと捻り出したものを、一度、画数が悪いからといって、また一から悩んで悩んで悩み直して。


そうやって、創り出されたもの。


わたしは、「今の若い人」という名前じゃない。


わたしは特別だから。


わたしは特別だから。


わたしはあの人とは違う。その人とも違う。


「今の若い人」だなんて、一緒くたにしないで。


日々の流れに何も思わず、何も感じず、ただ諾々と、生きている「だけ」の人たちと、ごっちゃにしないで。


わたしは毎日の色の変化に気づいている。


朝、目覚めた時、小さな箱の中から抜け出して、陽だまりの中。


「今日は薄い朱色」と呟いて。


次の日も。


朝、目覚めた時、黒い何かモゴモゴした塊から這い出して、泣き出しそうな雲を見上げて。


「今日は濃い群青色」と吐き出して。


わたしは、きっと何か意味を持って産まれてきた。


わたしは、きっと誰かに、何かに、期待されて産まれてきた。


わたしが生きることには、わたしが歩くことには、わたしが歩き続けることには、きっと何がしかの意義があって。


そして、誰かに必要とされて。


わたしは特別だから。


でも。


でも、もしも、そうじゃなかったら?