「よーい、スタート!」

監督の一声で本番の撮影が開始された。

御堂筋オフィスビルの下に並ぶイチョウの木の下で健二はじっと立っていた。

冷たい風が吹きぬけるこの寒空の下で、ビルの7階を見上げながら誰かをじっと待っている。

そんな設定だった。

撮影は順調に進んで行く。

僕は……

道路をはさんで反対側のイチョウの木の下で座り込んだままその様子をボーっと眺めていた。

あそこに立っているはずの僕はここで何をしているんだろう?

この姿は周りから見れば、さぞかし惨めに映っているんだろうな。

本当はこんなところにいたくない。

すぐにでもどこかへ消えてしまいたかった。

それなのに……

健二に言われたんだ。

「まさかこのまま帰るん違うやろうな?
男やったら逃げ出さずに最後まで見届けたらどうや?

お前がやるはずのこの役を俺がどんな風にするか、その目でちゃんと見てから行け!
そしたら諦めもつくやろ?!」

そう言われて、逃げだせずにここに座って見ている。

でも僕はそんなに強い人間じゃない。

本当は胸が張り裂けそうなくらい悔しくて、泣きそうなぐら辛いんだ。

これがこの世界の厳しさなら僕はもう二度とかかわりたくない。

芸能界なんか最初から目指すんじゃなかった。


寒さで冷え切った心と体はもうボロボロになっていた。

暗くなった夜空を見上げ、こうつぶやく。

(このまま凍え死んでもいいか……)

そう思った。