いや、名前なんて聞いてないんだけど…


「おたくは?」


「……え?」


「名前。なんてぇの?」男はグラスに入ったビールを一口飲むと、香りと同じぐらい爽やかな笑顔を浮かべた。


あんまりさらりと聞かれたから、


「ヒロ。桐ヶ谷 ヒロ」


なんて普通に答えてしまった。


「ふぅん、ヒロね」


男は意味深にふっと口の端に笑みを浮かべると、椅子を寄せてきた。


「あの?」怪訝そうに目だけを上げると、


「何でおたくの話に突っ込むのかって?あんな大きな独り言漏らされれば、突っ込んでくださいとしか聞こえねぇよ」


と男は薄く笑う。


俺……そんな声でかかった?今更ながら恥ずかしい。


思わず顔を俯かせると、


「まぁまぁ失恋ぐらい、どうってことねぇよ。そのルックスだったら引く手数多だろ?」と男はにやにや。


俺は目を細めて、それでも男からちょっとだけ視線を外した。


まぁそれなりにモテる…?のかなぁ。


社内の女の子たちからはよく食事に誘われる。


これはモテてる内に入らねぇだろなぁ…


だけど比奈(ヒナ、さっきまで俺の恋人だった女)に悪いと思ったから、全部断ってきた。


こんなことならもっと遊んでおけば良かった、と後悔するも、それでもやっぱり俺にそんな器用なことが出来るはずもなく、


結局のところ、俺にはそれだけの勇気がなかった。