それでも、運命に逆らう事は出来ない。

 込み上げる涙を呑む。


(ごめんね、祥ちゃん。ごめんね、サヤ、奏多)


 見つかった時は既に手遅れだった。もう手の施しようはないと言われた。

 本当を言うと、来月の沖縄旅行まで生きていられるか分からない。


 いつ死んでもおかしくない状態になってしまったこの体。


 花音は手を拭き、キーボードで奏多にピアノを教える祥多に近づいた。そして後ろから首に腕を回す。

 祥多の温もりが、花音の心を落ち着かせる。


「どうした、花音。お前、今日おかしいぞ」

「最近忙しくって全然家にいなかったでしょ。少しは甘えさせて」

「何だ、甘えたいだけか」

「うん」


 ツンと鼻が痛んだかと思えばまた、涙が目に浮かんだ。

 花音は涙が落ちてしまわないように唇を噛む。


「カノン弾いてやろうか?」

「うん。……ふふ。有名な時枝祥多が一般市民である私の為に弾いてくれますか」

「お前の為にしか弾かねぇよ。カノンはな」


 どこかで聞いた事のある科白に小さく笑い、花音は耳を傾けた。

 優しく温かで、柔らかなその音色に花音は浸かる。


『To.カノンを奏でる君』


 そんな宛名から始まる手紙を、昨夜書いた事を思い出す。


 今でも花音の為に、カノンを奏でてくれる祥多に。花音から贈る最期の手紙。

 中に綴ったたくさんの想い出と感謝と謝罪。そして、今でも変わらない想いと、幸せだと思う気持ち。

 伝わってくれればと思った。


「祥ちゃん…。やっぱり、祥ちゃんのピアノは世界一だよ」


 祥多の温もりを感じながらそう言い、花音は静かに目を閉じた。


 カノンの音が優しく響いていた。





  To.カノンを奏でる君
     ~fin.~






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