「もう嫌だっつっても追い回すからな」

「うん。そうして」


 いつもより柔らかく、甘く響く花音の声。

 祥多は泣きそうな顔をした。息苦しいほど、花音を抱き締める。苦しいだろうに、花音は放してと言う事はせず、寧ろ抱き締め返す。

 この時が永遠に続けばいいのにと思った。ずっとずっと、このまま幸せな、満たされた気持ちでいたい。


 花音の為なら、何もかも捨ててもいいと思うほど、祥多の気持ちは満たされていた。大好きなピアノですら、花音を失うよりは弾けなくなる方がマシだと思う。


「夏と冬には絶対帰って来いよ」

「ううん。もっと帰って来る。祥ちゃんに会いに」

「じゃ、俺も会いに行く」

「ほんと? じゃあ、おいしいお店探しとく」


 やっと想いを確かめ会えた矢先、離れてしまう二人の距離。

 しかし不思議と、不安は大きくなかった。それは、つい最近急に始まった恋ではないからかもしれない。

 長い間傍にいて、想い続ける事が出来たからこそ、安心して離ればなれになる事が出来るのかもしれない。


「ねぇ、祥ちゃん。苦しかった事も本当にたくさんあった。でも、私が今幸せだって思えるのは苦しかった時期があったからなんだよ」

「ああ」

「だから私、祥ちゃんに出逢えて良かった」

「ああ。俺も」

「それだけは絶対に後悔してないよ」

「サンキュ。それだけでほんとに充分だ」


 どちらともなく放れ、見つめ合う。双方とも頬を赤らめて笑った。

 長かった道のり。やっと辿り着いた、一つのゴール。


 窓の外ではそれぞれの新たな旅立ちを祝うように、惜しみなく花びらを舞わせていた。