ここからが過酷な闘いの始まりになった。



理解し合う事はとても難しい。


でも、光の為なら何でも出来る。



養護学級は唯一光が唯一くつろげる場所だった。



青木先生がいてくれるから、光は大丈夫。



1年1組担任の林先生が、毎日連絡ノートに光の行動を書きしるし、それを読むたび胸が痛んだが。



でも、どんなに非難されても、素直に受け止めようと心に誓う。


担任の言う事を全て受け入れるのは大変だったが、私のにはこの方法しかなかった。



毎日担任の林先生と些細な事まで連絡を取り合い。



その連絡ノートは、二年間で20冊にもなった。



のちに林先生が他校に移動になったとき、養護学級を受け持つことになり、私の大変さを思いしったと言う。


あの連絡ノートに書いた事は、全てが私の愚痴で、それをお母さんにぶつけていたと。


本当にすみませんでしたと謝ってくれてのだが、そんなふうには全く思えず、転任の素直な気持ちが聞けて本当に良かったと、思った事を林先生に伝えた。


林先生とこんな形で光の話が出来るだなんて、夢にも思わなかったから。


人との出会が私たち親子に大きな影響となり、親子で成長が出来たと思う。


感謝の気持ちしかなかった。